上告断念
2009-11-06
11月5日を少々過ぎました。
この日は、練馬裁判にとって重要な区切りの日です。というのは、最高裁への上告の期限だったからです。
この日までに僕たちは、上告の手続をしませんでした。つまり、
という結論を出しました。
理由はいくつかあります。たとえば、
東京高裁の判決が出た10月22日から今日まで、僕は失意と無力感のどん底にいました。僕たちが心血注いできたこの裁判は、一体何だったんだろう。原告の主張を、裁判所に何一つ認めさせることができませんでした。むしろ、区長に無限大の裁量を認めるかのごとき判決を、このまま後世に残す結果となりました。
このままでいいのか。この結果を甘受するのか。葛藤の15日間でした。
僕たちは、練馬の子どもたちのために、この裁判を起こしました。勝てる裁判だとは、初めから思っていませんでした。当事者ではない他園の保護者が提起した裁判です。そのため、住民訴訟という制度を使わざるを得ませんでした。公金の私的流用など、公職にある者の税金の使途を住民の立場からチェックする地方自治法上の制度です。直接の被害を受けた当該園の子どもたちや保護者たちが原告となる裁判とは、おのずと判断基準も異なってくるでしょう。
それでも、志村区長の横暴には、司法による厳しい一言があるとだろうと信じていました。
第一審、第二審を通して、それが期待できないことを、僕たちは悟りました。これ以上、この裁判を続ける意味はありません。むしろ、新たな局面に力を集中する方が、練馬の子どもたちのためになるだろうと、僕たちは判断しました。
急ごしらえの訴状を東京地裁に持ち込んだ平成18年6月26日以降、僕たちはしばらく弁護士を立てることができず、本人訴訟の形態で細々と闘争を続けていました。数名〜10数名の支援者を除き、練馬でもほとんど知られていない闘いを無謀にも挑んでいました。
その後、様々な出会いもあって、僕たちのささやかな抵抗が思いがけないくらい大きな反響を呼びました。本人訴訟で細々と闘っていた頃からは信じられないくらい、大きな社会的支援を受けてきたと思います。
僕たちが期待した判決は得られませんでした。でも、ここまで大きな支援をいただけたこと。そして練馬の子どもたち、この国の子どもたちを憂う支援者の方々が、この裁判を通じてつながることができたこと。これが、最大の成果だったのかもしれません。
この裁判の評価は、よかったところも悪かったところもひっくるめ、後進のみなさんに託したいと思います。
この日は、練馬裁判にとって重要な区切りの日です。というのは、最高裁への上告の期限だったからです。
この日までに僕たちは、上告の手続をしませんでした。つまり、
上告断念
という結論を出しました。
理由はいくつかあります。たとえば、
- 上告するには、憲法違反や法令違反という主張が必要になり、事実認定の誤りで争うのは困難という法律上の事情。
- 裁判所が、光八委託の無謀さに対する関心を示さない。
- 光が丘第八保育園の無謀な委託の問題から、練馬ではすでに次の段階に焦点が移っている。
東京高裁の判決が出た10月22日から今日まで、僕は失意と無力感のどん底にいました。僕たちが心血注いできたこの裁判は、一体何だったんだろう。原告の主張を、裁判所に何一つ認めさせることができませんでした。むしろ、区長に無限大の裁量を認めるかのごとき判決を、このまま後世に残す結果となりました。
このままでいいのか。この結果を甘受するのか。葛藤の15日間でした。
僕たちは、練馬の子どもたちのために、この裁判を起こしました。勝てる裁判だとは、初めから思っていませんでした。当事者ではない他園の保護者が提起した裁判です。そのため、住民訴訟という制度を使わざるを得ませんでした。公金の私的流用など、公職にある者の税金の使途を住民の立場からチェックする地方自治法上の制度です。直接の被害を受けた当該園の子どもたちや保護者たちが原告となる裁判とは、おのずと判断基準も異なってくるでしょう。
それでも、志村区長の横暴には、司法による厳しい一言があるとだろうと信じていました。
第一審、第二審を通して、それが期待できないことを、僕たちは悟りました。これ以上、この裁判を続ける意味はありません。むしろ、新たな局面に力を集中する方が、練馬の子どもたちのためになるだろうと、僕たちは判断しました。
急ごしらえの訴状を東京地裁に持ち込んだ平成18年6月26日以降、僕たちはしばらく弁護士を立てることができず、本人訴訟の形態で細々と闘争を続けていました。数名〜10数名の支援者を除き、練馬でもほとんど知られていない闘いを無謀にも挑んでいました。
その後、様々な出会いもあって、僕たちのささやかな抵抗が思いがけないくらい大きな反響を呼びました。本人訴訟で細々と闘っていた頃からは信じられないくらい、大きな社会的支援を受けてきたと思います。
僕たちが期待した判決は得られませんでした。でも、ここまで大きな支援をいただけたこと。そして練馬の子どもたち、この国の子どもたちを憂う支援者の方々が、この裁判を通じてつながることができたこと。これが、最大の成果だったのかもしれません。
この裁判の評価は、よかったところも悪かったところもひっくるめ、後進のみなさんに託したいと思います。
僕たちの裁判を、今日までご支援いただき、
本当にありがとうございました。
本当にありがとうございました。
ただ僕たちは、これで終わったとは思っていません。司法が解決できないなら、親たちが、そして練馬の子どもたちを憂う意思ある人たちが、力を合わせて解決していくしかありません。練馬の子どもたちを守る活動は、今後も続いていきます。
非情の判決
2009-10-24
ご報告が遅くなって申し訳ございません。去る10月22日、練馬保育園民営化裁判の控訴審判決が言い渡されました。
控訴人(原告)の請求は、
されました。判決文は、わずか6ページでした。
事実認定は、一審の判断が、ほぼそのまま採用されました。
原判決以上に問題点をはらむ判決です。
一点だけ指摘すると、東京高裁は、横浜裁判の大きな成果のひとつである「保育所選択権」を全面否定しました。これほど重要な問題を、
控訴審では、追加主張として、「保育園の民間委託が本当に経費節減につながるか」という論点を検証しようと試みました。東京高裁の判断は、こうでした。
あれだけの混乱と、それを招いた志村区長の責任は、司法の世界では「その余の点」だったのか。そんな虚無感、無常に襲われます。
以下は、控訴審判決を受けての僕のコメントです。
控訴人(原告)の請求は、
棄却
されました。判決文は、わずか6ページでした。
事実認定は、一審の判断が、ほぼそのまま採用されました。
原判決以上に問題点をはらむ判決です。
一点だけ指摘すると、東京高裁は、横浜裁判の大きな成果のひとつである「保育所選択権」を全面否定しました。これほど重要な問題を、
「なお,児童は,特定の保育所で保育を受ける権利を有するとはいえないから,控訴人らの上記主張は失当である。」を加える。という一文を原判決の該当箇所に追加する形で、サラッと否定してしまいました。理由には言及がありませんでした。
控訴審では、追加主張として、「保育園の民間委託が本当に経費節減につながるか」という論点を検証しようと試みました。東京高裁の判断は、こうでした。
仮定の短期的試算によっては,人件費を含めた長期的な保育行政の採算性を検証することはできない。そして、僕が個人的に最もこだわっていた「招かずに済んだはずの混乱を招いた区長の責任」については、
(原判決の)「事実及び理由」欄の「第3 争点に対する判断」に記載のとおりであるから,これを引用する。高裁は、原判決の判断をほぼそのまま支持するだけでした。事実関係の再検討その他、僕が控訴審で期待していたことは、事実上棚上げのまま、「その余の点について判断するまでもなく」という一文の中に押し込められてしまいました。
あれだけの混乱と、それを招いた志村区長の責任は、司法の世界では「その余の点」だったのか。そんな虚無感、無常に襲われます。
以下は、控訴審判決を受けての僕のコメントです。
この判決に触れ、僕は今、強烈な虚無感に襲われています。 招かなくていい混乱を招いた区長の責任を、司法はどう考えているのでしょうか。 大人たちの安易な行革ごっこに振り回され、深く傷ついた子どもたちの悲鳴に、司法が心を痛めることはないのでしょうか。 今回の判決も、一審同様、「混乱は一時的なものに過ぎず」云々と不当評価しているみたいです。 「一時的な混乱」程度で、他園の親がわざわざ裁判なんか起こすか!と言いたい。 傍聴に来ていただいた方々、ずっとご支援いただいている方々、そして誰よりも、練馬の子どもたち。この人たちの切なる期待に、なかなか応えることができず、申し訳なく思います。 まだまだ終わった訳ではないと思います。子どもたちに少しでもいい社会を引き継げるよう、これからも頑張っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
練馬控訴審判決のご案内
2009-10-19
練馬保育園民営化裁判の控訴審判決が、まもなく言い渡されます。
たった2回の弁論だけで判決の日を迎えることになりました。一審を踏襲した厳しい判決になることも予想されます。
保育園民営化をめぐる裁判では、特に最近、原告に厳しい判決が下る傾向が強くなっています。横浜の第二審も、先日の仙台地裁の判決もそうでした。
子どもたちの育ちを守る僕たち親にしてみれば、もちろん、この傾向には強い憤りと危機感を覚えざるを得ません。
一方で、裁判所の側に立ってみても、本当にこれでいいのかなあと心配になってしまいます。というのは、裁判所(あるいは法)が現実に全くついて来れていないからです。
受託した民間事業者が、無理な計画を押し付けられ、保育の現場が混乱し、最も弱い子どもたちがそのツケを負わされるという現実。「民間は公立より効率的」という理由で、不利な待遇を押し付けられる差別の現実。民間には公立以上に優良な保育園がある一方で、とんでもない粗悪な業者もたくさんいるという現実。すでに、運営法人の倒産で園が突然閉鎖になってしまったり、補助金や運営費の不正流用の事例も出始めています。
裁判所の認識や法の定めの想定を、現実ははるかに超えているように、僕には見えます。しかも悪い方向に進んでいるように、僕には見えます。
今の大人たちの過ちは、今の大人たちが正していかなければならないと思います。目の前の子どもたちのために。
僕たちの裁判は、そのための小さな小さな試みだと思っています。
判決後は、隣接する弁護士会館での報告集会も予定されています。
ぜひ傍聴にお越し下さい。
たった2回の弁論だけで判決の日を迎えることになりました。一審を踏襲した厳しい判決になることも予想されます。
保育園民営化をめぐる裁判では、特に最近、原告に厳しい判決が下る傾向が強くなっています。横浜の第二審も、先日の仙台地裁の判決もそうでした。
子どもたちの育ちを守る僕たち親にしてみれば、もちろん、この傾向には強い憤りと危機感を覚えざるを得ません。
一方で、裁判所の側に立ってみても、本当にこれでいいのかなあと心配になってしまいます。というのは、裁判所(あるいは法)が現実に全くついて来れていないからです。
受託した民間事業者が、無理な計画を押し付けられ、保育の現場が混乱し、最も弱い子どもたちがそのツケを負わされるという現実。「民間は公立より効率的」という理由で、不利な待遇を押し付けられる差別の現実。民間には公立以上に優良な保育園がある一方で、とんでもない粗悪な業者もたくさんいるという現実。すでに、運営法人の倒産で園が突然閉鎖になってしまったり、補助金や運営費の不正流用の事例も出始めています。
裁判所の認識や法の定めの想定を、現実ははるかに超えているように、僕には見えます。しかも悪い方向に進んでいるように、僕には見えます。
今の大人たちの過ちは、今の大人たちが正していかなければならないと思います。目の前の子どもたちのために。
僕たちの裁判は、そのための小さな小さな試みだと思っています。
10月22日(木)午後1時15分〜
東京高裁808号法廷
東京高裁808号法廷
判決後は、隣接する弁護士会館での報告集会も予定されています。
ぜひ傍聴にお越し下さい。
公立保育園民営化の宿命
2009-10-08
大阪府で保育園3園を運営する社会福祉法人「寝屋川福祉会」の前理事長らが、厚生労働省や府などから支給される運営費数百万円を私的流用していたそうです。朝日新聞が伝えています。
同会が運営する3園の中には、大東市が民営化した上三箇(かみさんが)保育園が含まれています。同園の民営化をめぐる訴訟が、あの大東裁判です。数ある保育園民営化訴訟の中で、保護者側の勝訴が確定した唯一の例として、あまりに有名です。このブログでも、何度か取り上げたことがあります。
さて、このような事例が明るみに出ると、「そら見たことか。やっぱり民間はダメなんだ」と短絡する議論が出かねません。「だから保育園の民営化はダメなんだ」という主張が出てくるかもしれません。しかし、笠本はそれらの主張に与するつもりはありません。
民間保育園の中には、公立の一段も二段も上を行く保育を実践している事業者があることを、笠本は知っています。その一方で、とんでもない粗悪な保育を提供している民間事業者が数多くあることも、一応知っているつもりです。
おそらく問題の核心のひとつとして挙げることができると思いますが、保育園を民営化しようとする行政が、
民間の実態を知らなさ過ぎる
ということは、言えると思います。
練馬が典型ですが、
民間は効率的だから、
どんな条件でも何とかしてくれる
という思い込み
が行政の側にあるような気がします。
民間だって人間が運営しています。神様ではありません。できることとできないことがあります。
なのに「民間は効率的」という思い込みだけで保育園を民営化してしまったら、どうなるか。個別には、結果的によかったという事例が出てくるかもしれません。その一方で、とんでもない悪質な事業者が受託してしまう事例が、必ず出てきます。その可能性を排除するのは、事実上不可能です。そして、大人たちの不明の責任は、子どもたちが抱え込むことになります。
ちなみに、「民間が効率的」というのは、保育園に限っては誤解を与える表現だと思います。
保育という同じ仕事をしていながら、公立は人件費が高くて民間は低い。これは
効率の問題ではなく、差別の問題
だと笠本は思います。同じ保育という仕事をしているなら、民間の保育士は公立と同等に報われるべきです。
なのに、民間の保育士は、国家や自治体からの支援が不十分であるがゆえに、不当に低い待遇に甘んじるしかない状況に置かれています。
そんな状況を逆手に取るような形で「民間の方が効率的」という主張が出てきたというのが実態だと、笠本は考えています。
違うでしょう。
こんなの、国や自治体の怠慢のツケを民間に押し付けているだけです。
上三箇の事例は、全国各地で進められている保育園民営化の将来に対する警鐘と言えるかもしれません。同じような事例は、今後もきっと出てくると思います。民営化する以上は、これは宿命だと言うしかありません。
同会が運営する3園の中には、大東市が民営化した上三箇(かみさんが)保育園が含まれています。同園の民営化をめぐる訴訟が、あの大東裁判です。数ある保育園民営化訴訟の中で、保護者側の勝訴が確定した唯一の例として、あまりに有名です。このブログでも、何度か取り上げたことがあります。
さて、このような事例が明るみに出ると、「そら見たことか。やっぱり民間はダメなんだ」と短絡する議論が出かねません。「だから保育園の民営化はダメなんだ」という主張が出てくるかもしれません。しかし、笠本はそれらの主張に与するつもりはありません。
民間保育園の中には、公立の一段も二段も上を行く保育を実践している事業者があることを、笠本は知っています。その一方で、とんでもない粗悪な保育を提供している民間事業者が数多くあることも、一応知っているつもりです。
おそらく問題の核心のひとつとして挙げることができると思いますが、保育園を民営化しようとする行政が、
民間の実態を知らなさ過ぎる
ということは、言えると思います。
練馬が典型ですが、
民間は効率的だから、
どんな条件でも何とかしてくれる
という思い込み
が行政の側にあるような気がします。
民間だって人間が運営しています。神様ではありません。できることとできないことがあります。
なのに「民間は効率的」という思い込みだけで保育園を民営化してしまったら、どうなるか。個別には、結果的によかったという事例が出てくるかもしれません。その一方で、とんでもない悪質な事業者が受託してしまう事例が、必ず出てきます。その可能性を排除するのは、事実上不可能です。そして、大人たちの不明の責任は、子どもたちが抱え込むことになります。
ちなみに、「民間が効率的」というのは、保育園に限っては誤解を与える表現だと思います。
保育という同じ仕事をしていながら、公立は人件費が高くて民間は低い。これは
効率の問題ではなく、差別の問題
だと笠本は思います。同じ保育という仕事をしているなら、民間の保育士は公立と同等に報われるべきです。
なのに、民間の保育士は、国家や自治体からの支援が不十分であるがゆえに、不当に低い待遇に甘んじるしかない状況に置かれています。
そんな状況を逆手に取るような形で「民間の方が効率的」という主張が出てきたというのが実態だと、笠本は考えています。
違うでしょう。
こんなの、国や自治体の怠慢のツケを民間に押し付けているだけです。
上三箇の事例は、全国各地で進められている保育園民営化の将来に対する警鐘と言えるかもしれません。同じような事例は、今後もきっと出てくると思います。民営化する以上は、これは宿命だと言うしかありません。
仙台の保育園民営化訴訟、請求却下
2009-09-28
仙台の裁判で、仙台地裁は本日、保護者側の請求を「却下」する判決を言い渡したそうです。
産経新聞が伝えています。
「却下」というのは、「門前払い」という意味の法律用語です。審理の結果として請求を退ける「棄却」とは区別されます。
つまり、保育園民営化をめぐって裁判を起こすこと自体が不適法だというのが、仙台地裁の判断です。
仙台で頑張ってきた原告の方々、支援者の方々には、結果に関わらず「お疲れ様でした」と声をかけたいところですが、さすがにこの判決は非情すぎます。保育園民営化をめぐっては、過去に何件も裁判が起こされていますが、すべての裁判(横浜控訴審を除く)では、結果はともかくとして、訴え自体は適法と判断されていました。
ところが仙台地裁の判決は、結局こうです。
保護者は、訴えることさえ許されない。
思えば、保護者側逆転敗訴となった横浜控訴審の判決も「却下」でした。判決文を検討した訳ではないので確たることは言えませんが、仙台もこの流れを踏襲しているように見えます。
仙台裁判には、練馬裁判の原告としての特別な共感があります。提訴時の記事でも書きましたが、仙台も年度途中からの民営化だという点です。当時、僕は「こんなことは絶対に許してはいけない!」と、文字ポイント最大で、しかも赤字で、さらに太字にして訴えました。通じませんでした。
この国は、立法・行政・司法と分立した三権すべてが、子どもを大切にしていない。
仙台裁判が明らかにしたのは、この事実だと思います。
産経新聞が伝えています。
「却下」というのは、「門前払い」という意味の法律用語です。審理の結果として請求を退ける「棄却」とは区別されます。
つまり、保育園民営化をめぐって裁判を起こすこと自体が不適法だというのが、仙台地裁の判断です。
仙台で頑張ってきた原告の方々、支援者の方々には、結果に関わらず「お疲れ様でした」と声をかけたいところですが、さすがにこの判決は非情すぎます。保育園民営化をめぐっては、過去に何件も裁判が起こされていますが、すべての裁判(横浜控訴審を除く)では、結果はともかくとして、訴え自体は適法と判断されていました。
ところが仙台地裁の判決は、結局こうです。
保護者は、訴えることさえ許されない。
思えば、保護者側逆転敗訴となった横浜控訴審の判決も「却下」でした。判決文を検討した訳ではないので確たることは言えませんが、仙台もこの流れを踏襲しているように見えます。
仙台裁判には、練馬裁判の原告としての特別な共感があります。提訴時の記事でも書きましたが、仙台も年度途中からの民営化だという点です。当時、僕は「こんなことは絶対に許してはいけない!」と、文字ポイント最大で、しかも赤字で、さらに太字にして訴えました。通じませんでした。
この国は、立法・行政・司法と分立した三権すべてが、子どもを大切にしていない。
仙台裁判が明らかにしたのは、この事実だと思います。



